息子の不登校が始まったのは、まだ一人でお留守番をさせるのが心配な低学年の頃。
ある平日の昼間、近くの道の駅へ食材の買い出しに出かけた時のことです。
息子を連れて歩いていると、知らないおば様に笑顔で声をかけられました。
「あら、今日は学校お休み?」
その瞬間、ハッとしました。
そっか。平日の昼間、学校がある時間に子どもと出歩くのは「不自然」なことなんだ。
世間の時間軸から自分たちが外れていることに、その時初めて突きつけられたような気がしました。
振り回される毎日に、限界だった心
五月雨(さみだれ)登校の時期は、とにかく毎日が「白黒はっきりしない」ことの連続でした。
前夜の「明日は行く!」は、翌朝には「やっぱり行きたくない」に変わる。
「4時間目から行く」と言うから予定を開けて待っていたのに、時間になると「やっぱり無理」。
子どものペースに合わせてあげたいと思う反面、振り回されるストレスで、
「こっちの予定もあるんだから、約束は守ってよね!!」
と、つい強い言葉をぶつけてしまった日もありました。
毎朝の欠席連絡も、アプリとはいえ気が重い。
行けるか分からないから給食費も止められず、無駄に払い続けながら自宅で昼食を作る負担。
「給食だけでも食べに行けばいいのに……」 そんな身勝手な本音が、喉元まで出かかっていました。

安心空間のはずの家が、乱れていく
「学校に行かない」という事実以上に、私を追い詰めたのは「将来への不安」でした。
毎日YouTubeを見るだけの息子。
焦れば焦るほど、余計な一言が増えていく。
優しくしたいのに、苛立ちが止まらない。
安心できる場所であるはずの家の中が、私の情緒不安定のせいでピリピリと乱れ始めていました。
「このままでは、共倒れになる。」
そう直感し、私は必死で息子の居場所を探しました。
幸い、地域に不登校児を無料で受け入れてくれる『子どもの第三の居場所』を見つけ、平日はそこへ預けることにしたのです。

「正しさ」という名の押し付け
小学3年生の頃、息子はほとんど通常時間には登校しませんでした。
でも私は、「学校との繋がりを絶ってはいけない」という義務感に縛られていました。
放課後だけでも先生に会いに行く。 それは先生の希望であり、私の「正しさ」でもありました。
今振り返ると、その「放課後登校」すら、息子にとっては見えないストレスの積み重ねだったのかもしれません。
フリースクールに行くかどうかも、結局は本人の気分次第。
居場所を見つけてもなお、「今日は行くの?行かないの?」と顔色を伺う毎日は、ちっとも心が休まりませんでした。
この時期の私は、何よりも「自分のこと」を後回しにしていました。
私のストレスは、もう限界を超えていたのです。
「子どもをどうにかするより先に、やらなきゃいけないことがある」
自分のことを後回しにして、息子の「正解」を探し続けていた私。
ストレスが限界を超えたとき、私はようやく一つのことに気づきました。
次回は、私が「自分を整える」ことの重要性に気づいた、あるきっかけについてお話しします。
これを知ることで、私のガチガチだった心は、少しずつ解け始めました。
